8月が近づいて、また靖国神社のことが色々議論されそう。私の行っている教会でも、今度、子どもたちと一緒にこのことについて考えるプログラムがある。
最近、靖国神社参拝で問題になっているのは、もっぱらA級戦犯のことだ。だから、そのことをもう一回考えたい。しかも、A級戦犯のことを掘り下げていくと、あの戦争は何だったのか、どうしてああなってしまったのかにも行き着くのである。
A級戦犯にされた25人は、米英などによって開催された極東国際軍事裁判(“東京裁判”)で、満州事変から太平洋戦争までの、いわゆる「15年戦争」において、中国・アジアへの侵略戦争を共同謀議し・遂行し、多数の人民を殺人、人道にもとる行為を指導したとされ、有罪になった。うち東条英機ら7人は絞首刑になった。この人たちが、あの戦争を進めた日本政府・軍部の指導者層であったことは間違いなく、そういう意味で、戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると、この人たちである。
今「戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると」と言った。前にも書いた通り、第一次世界大戦までは、敗戦の責任は、賠償金や領土割譲の形で国家が取り、政府・軍の首脳個人が戦犯にされることはなかった。(捕虜虐待などのマナー・ルール違反の軍人だけは、勝ち負けとは別に戦犯になったが。)しかし、第一次世界大戦処理の反省から、第二次では、むしろ国家(=国民)に大きな負担を強いさせず、軍部・政府首脳個人に責任を取らせるようにしたのだ。それで、日本とドイツ(ナチス)の首脳が国際裁判で大勢処刑されるという初めてのパタンになったのである。(注:日本の戦犯死刑者はB級・C級も含め海外での処刑者も含めると1000人以上になる。)
勿論、これら国際裁判では、さすがに「負け戦さをした責任」という罪状ではなく、主に「他国を侵略し多くの人を殺した平和に対する罪」という罪状であった。しかし、他国への侵略については、そもそもアジア各国・中国を強引に植民地化していった英国こそがその先駆者である。英国の対中国(清)アヘン戦争/アロー戦争と、日本陸軍の満州事変と、どちらが、より「悪(ワル)」か、比べて見るとよい。また、市民の虐殺も、日本軍の行為以上に、米軍の原爆投下こそが人類史上最大の一般市民無差別大虐殺である。ところが、これらは一切国際裁判の対象になっていない。勿論、日本軍がアジア・中国でまさに暴走し、1000数百万人の人を死に至らせたことの、神に対する罪の重さは測り知れない。もし、神から有罪と言われれば抗弁の余地は全くない。しかし、米英国等が国際裁判を開催し、逃げもせぬA級戦犯被告を殆ど一方的に有罪にし得たのは、何と言っても米英が戦勝国であり、日本が敗戦国であったからであるという事は、国際政治・国際法上は明らかであろう。
そうなると、A級戦犯の人も、その意味では、日本が負けた責任を、国民代表で背負って刑に服した人たちということになる。何やら国民の身代わりの犠牲者という感じだ。しかし、それを言う前に、この人たちは、なぜ、何の為に日本を無謀な戦争に追いやって行ったのかが問われなければならない。
A級で死刑になった7人を見てみよう。日独伊協定締結の政府責任者として処刑された広田元首相以外の6人は軍人であるが、これは、実質軍部が政府を圧倒したことから、当然であろう。この中で、日中戦争拡大、太平洋戦争突入を最も強く推進したのが東条陸相・首相、および、武藤陸軍省軍務局長。次に木村大将だが、この人は偶々東条と武藤の間にいた次官だったようだ。土肥原陸軍大将、板垣陸軍大将は、概ね満州支配の中心役であったことを問われた。最後の松井陸軍大将は、9つの罪状のうち8つまでは無罪になったが、例の南京で日本兵士が市民を虐殺した事件について、現地司令官として虐殺を阻止し得なかった責任を問われ死刑になった。
この中で、軍部暴走の象徴は矢張り東条、或いは武藤であろう。彼らは「このまま英・米と政治的に交渉していては、彼らの良い様にされ、結局日本のアジアにおける地位は失われてしまう。確かに日本の戦力は限りあるが、米が更に軍備を進めれば、もっと勝ち目はなくなる。幸いドイツが強いのでドイツと組んで、日本は今立たないと、永遠に後悔する」---そういう主張を強くして、戦争に突入して行った。彼らの、このような主張の背景には、政府・軍部内で米英和平派等を排して自分たちの派閥の権勢を強めたいというような、私利私欲的な思いも多少はあったかもしれない。しかし、想像するに、大変視野狭窄になってしまっていたが、私利私欲というより、日本として、軍人としての意地や情念から、無謀でも戦わざるを得ないと強く思ったような気がするのだ。しかも、ここが重要なのだが、もし国民が彼らと同様に、天下の情勢を良く知らされていたとしても、国民にも同様の激情に走った人が多かったのではないかと思う。東条もドイツに駐在したこともあり、世界を知らなかったわけでもない。それでも、大いに間違った決断をした。多少、世界を知っていた国民でも、あの当時の情勢下で、山本五十六のように「戦えば負けるので絶対不戦」とまで言い切れる人がどれほどいたかと思うのである。
だから、私は、強引に日本を戦争に追い込んだA級戦犯ではあるが、あの当時の日本人がいだきがちであった「米英の言いなりになるのか。折角、築いた満州を放棄するのか。」といった国民的(潜在)感情を代表した面があると思うのである。勿論責任者だったのだから、判断の結果の大いなる間違いの責任は一義的には彼らにある。しかし、国民は皆彼らに騙されていただけとして、彼らだけに罪を着せるのも問題があると思う次第である。A級戦犯は、国内的には、どうしてもこのような整理になると思う。しかし、国際的には、だからといって今更、A級戦犯は必ずしも悪くなかったとは決して言い出せない。全ての戦後秩序は、もうそれで出来上がっているからである。この国内・国際のずれを、両方よく理解して、未来志向の道を築く必要があるのだ。 Nat
最近、靖国神社参拝で問題になっているのは、もっぱらA級戦犯のことだ。だから、そのことをもう一回考えたい。しかも、A級戦犯のことを掘り下げていくと、あの戦争は何だったのか、どうしてああなってしまったのかにも行き着くのである。
A級戦犯にされた25人は、米英などによって開催された極東国際軍事裁判(“東京裁判”)で、満州事変から太平洋戦争までの、いわゆる「15年戦争」において、中国・アジアへの侵略戦争を共同謀議し・遂行し、多数の人民を殺人、人道にもとる行為を指導したとされ、有罪になった。うち東条英機ら7人は絞首刑になった。この人たちが、あの戦争を進めた日本政府・軍部の指導者層であったことは間違いなく、そういう意味で、戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると、この人たちである。
今「戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると」と言った。前にも書いた通り、第一次世界大戦までは、敗戦の責任は、賠償金や領土割譲の形で国家が取り、政府・軍の首脳個人が戦犯にされることはなかった。(捕虜虐待などのマナー・ルール違反の軍人だけは、勝ち負けとは別に戦犯になったが。)しかし、第一次世界大戦処理の反省から、第二次では、むしろ国家(=国民)に大きな負担を強いさせず、軍部・政府首脳個人に責任を取らせるようにしたのだ。それで、日本とドイツ(ナチス)の首脳が国際裁判で大勢処刑されるという初めてのパタンになったのである。(注:日本の戦犯死刑者はB級・C級も含め海外での処刑者も含めると1000人以上になる。)
勿論、これら国際裁判では、さすがに「負け戦さをした責任」という罪状ではなく、主に「他国を侵略し多くの人を殺した平和に対する罪」という罪状であった。しかし、他国への侵略については、そもそもアジア各国・中国を強引に植民地化していった英国こそがその先駆者である。英国の対中国(清)アヘン戦争/アロー戦争と、日本陸軍の満州事変と、どちらが、より「悪(ワル)」か、比べて見るとよい。また、市民の虐殺も、日本軍の行為以上に、米軍の原爆投下こそが人類史上最大の一般市民無差別大虐殺である。ところが、これらは一切国際裁判の対象になっていない。勿論、日本軍がアジア・中国でまさに暴走し、1000数百万人の人を死に至らせたことの、神に対する罪の重さは測り知れない。もし、神から有罪と言われれば抗弁の余地は全くない。しかし、米英国等が国際裁判を開催し、逃げもせぬA級戦犯被告を殆ど一方的に有罪にし得たのは、何と言っても米英が戦勝国であり、日本が敗戦国であったからであるという事は、国際政治・国際法上は明らかであろう。
そうなると、A級戦犯の人も、その意味では、日本が負けた責任を、国民代表で背負って刑に服した人たちということになる。何やら国民の身代わりの犠牲者という感じだ。しかし、それを言う前に、この人たちは、なぜ、何の為に日本を無謀な戦争に追いやって行ったのかが問われなければならない。
A級で死刑になった7人を見てみよう。日独伊協定締結の政府責任者として処刑された広田元首相以外の6人は軍人であるが、これは、実質軍部が政府を圧倒したことから、当然であろう。この中で、日中戦争拡大、太平洋戦争突入を最も強く推進したのが東条陸相・首相、および、武藤陸軍省軍務局長。次に木村大将だが、この人は偶々東条と武藤の間にいた次官だったようだ。土肥原陸軍大将、板垣陸軍大将は、概ね満州支配の中心役であったことを問われた。最後の松井陸軍大将は、9つの罪状のうち8つまでは無罪になったが、例の南京で日本兵士が市民を虐殺した事件について、現地司令官として虐殺を阻止し得なかった責任を問われ死刑になった。
この中で、軍部暴走の象徴は矢張り東条、或いは武藤であろう。彼らは「このまま英・米と政治的に交渉していては、彼らの良い様にされ、結局日本のアジアにおける地位は失われてしまう。確かに日本の戦力は限りあるが、米が更に軍備を進めれば、もっと勝ち目はなくなる。幸いドイツが強いのでドイツと組んで、日本は今立たないと、永遠に後悔する」---そういう主張を強くして、戦争に突入して行った。彼らの、このような主張の背景には、政府・軍部内で米英和平派等を排して自分たちの派閥の権勢を強めたいというような、私利私欲的な思いも多少はあったかもしれない。しかし、想像するに、大変視野狭窄になってしまっていたが、私利私欲というより、日本として、軍人としての意地や情念から、無謀でも戦わざるを得ないと強く思ったような気がするのだ。しかも、ここが重要なのだが、もし国民が彼らと同様に、天下の情勢を良く知らされていたとしても、国民にも同様の激情に走った人が多かったのではないかと思う。東条もドイツに駐在したこともあり、世界を知らなかったわけでもない。それでも、大いに間違った決断をした。多少、世界を知っていた国民でも、あの当時の情勢下で、山本五十六のように「戦えば負けるので絶対不戦」とまで言い切れる人がどれほどいたかと思うのである。
だから、私は、強引に日本を戦争に追い込んだA級戦犯ではあるが、あの当時の日本人がいだきがちであった「米英の言いなりになるのか。折角、築いた満州を放棄するのか。」といった国民的(潜在)感情を代表した面があると思うのである。勿論責任者だったのだから、判断の結果の大いなる間違いの責任は一義的には彼らにある。しかし、国民は皆彼らに騙されていただけとして、彼らだけに罪を着せるのも問題があると思う次第である。A級戦犯は、国内的には、どうしてもこのような整理になると思う。しかし、国際的には、だからといって今更、A級戦犯は必ずしも悪くなかったとは決して言い出せない。全ての戦後秩序は、もうそれで出来上がっているからである。この国内・国際のずれを、両方よく理解して、未来志向の道を築く必要があるのだ。 Nat