引き続き、祈りが聞かれないように思えるのはなぜ?という疑問について。
良く言われることだが、「神さまは、人間の召使いではないのだから、人間が祈りでお願いをしても、いちいちその通りにしてくれる訳がないでしょう」ということがある。これは、神を信じない人からすると、「それは、神などというありもしないものに祈って、その通りにならないことに対する、クリスチャンのずるい言い訳でしょう」ということになる。これは信じて生きているか、そうでない生き方をしているかの違いだから、議論しても永遠の平行線である。
ある時、うちの教会の牧師ではないのだが、とあるちょっと有名な牧師さんが来て話しをしてくれた。極端な話だが、面白い。「もし、あなたにね、殺してやりたいくらい憎い奴がいたら、いっそのこと、神さまに祈って、“神さま、あいつを殺して下さい”と祈ったらいい。」という。憎いアイツの処置は神さまに任せるのがいいという話だ。神は、あなたの召使いではないから、殺せと言われて「かしこまりました」といって直ぐ殺してくれるかどうか分からない。もし、本当に、そいつが神から見ても滅ぼすべき害悪な奴なら、神が殺してくれるだろう。そうでなければ殺さず、別の対処をしてくれるだろう。だから人間の判断で殺そうなどと思うくらいなら、神に任せるのがいい。そういう話だ。普通、イエスの「敵を愛して祈れ」との言葉が教えられるが、その牧師の話は、旧約聖書によく出てくる「神よ、ユダヤ民族の敵を滅ぼしたまえ」という祈りに似ていて、ある種の新鮮な観点をもっていた。
その極端な話しをした牧師の真意はこうだったのではないか。「神は人間の祈りに対して、人間と同じレベルで対応するのではない。祈りの中のどんな願いも叫びも神はしっかり受けとめてくれる。しかし、祈りへの神の応答は、飽くまでも神のレベルで、神の心によりなされるのだ。だから、たとえ人を殺したいと思った時も、神に打ち明け、そっくり委ねるのが良い。人間の小さな思いを越えて、神がしっかりそのことを受けとめてくれ、あなたに対しても、その憎い奴に対しても、神が一番よいようにして下さるから。」そういう意味だと思う。
このように、祈りの本質は、神が神のレベルで全てを統べたもうことを信じて、人間は人間のレベルでの本音、心の叫びをそのまま神にぶつけ、委ねるのがいいということなのである。私は1日の終わりに、ベッドの中で、その日一日の人間の葛藤、憎しみ、欲望、悲しみ、不安、その全部を神に語り、そして神に委ねる。神が一番よいようにして下さるのを信じて。私は毎晩こうやって眠りにつく。一日の人間レベルの思いを、神に委ね、そして最後に「神さま、全部お任せしましたからね。ではお休みなさい。アーメン」といってバタンと倒れると、瞬間的に深い心地よい眠りの世界に入れる。 本当ですよ。これ。 Nat
良く言われることだが、「神さまは、人間の召使いではないのだから、人間が祈りでお願いをしても、いちいちその通りにしてくれる訳がないでしょう」ということがある。これは、神を信じない人からすると、「それは、神などというありもしないものに祈って、その通りにならないことに対する、クリスチャンのずるい言い訳でしょう」ということになる。これは信じて生きているか、そうでない生き方をしているかの違いだから、議論しても永遠の平行線である。
ある時、うちの教会の牧師ではないのだが、とあるちょっと有名な牧師さんが来て話しをしてくれた。極端な話だが、面白い。「もし、あなたにね、殺してやりたいくらい憎い奴がいたら、いっそのこと、神さまに祈って、“神さま、あいつを殺して下さい”と祈ったらいい。」という。憎いアイツの処置は神さまに任せるのがいいという話だ。神は、あなたの召使いではないから、殺せと言われて「かしこまりました」といって直ぐ殺してくれるかどうか分からない。もし、本当に、そいつが神から見ても滅ぼすべき害悪な奴なら、神が殺してくれるだろう。そうでなければ殺さず、別の対処をしてくれるだろう。だから人間の判断で殺そうなどと思うくらいなら、神に任せるのがいい。そういう話だ。普通、イエスの「敵を愛して祈れ」との言葉が教えられるが、その牧師の話は、旧約聖書によく出てくる「神よ、ユダヤ民族の敵を滅ぼしたまえ」という祈りに似ていて、ある種の新鮮な観点をもっていた。
その極端な話しをした牧師の真意はこうだったのではないか。「神は人間の祈りに対して、人間と同じレベルで対応するのではない。祈りの中のどんな願いも叫びも神はしっかり受けとめてくれる。しかし、祈りへの神の応答は、飽くまでも神のレベルで、神の心によりなされるのだ。だから、たとえ人を殺したいと思った時も、神に打ち明け、そっくり委ねるのが良い。人間の小さな思いを越えて、神がしっかりそのことを受けとめてくれ、あなたに対しても、その憎い奴に対しても、神が一番よいようにして下さるから。」そういう意味だと思う。
このように、祈りの本質は、神が神のレベルで全てを統べたもうことを信じて、人間は人間のレベルでの本音、心の叫びをそのまま神にぶつけ、委ねるのがいいということなのである。私は1日の終わりに、ベッドの中で、その日一日の人間の葛藤、憎しみ、欲望、悲しみ、不安、その全部を神に語り、そして神に委ねる。神が一番よいようにして下さるのを信じて。私は毎晩こうやって眠りにつく。一日の人間レベルの思いを、神に委ね、そして最後に「神さま、全部お任せしましたからね。ではお休みなさい。アーメン」といってバタンと倒れると、瞬間的に深い心地よい眠りの世界に入れる。 本当ですよ。これ。 Nat