笑顔 今度、若い人などの仲間で夏の特別プログラムとして横須賀の軍港見学に行く。海から至近距離で米海軍基地に停泊している軍艦などが見られる計画だ。間近に見た上で、皆で国際紛争と平和について話し合う。私を含めてその計画のスタッフをしているのだが、話し合いにおいても特に特定の方向に話し合いを誘導するつもりはない。特に若い人には、様々な考え方があり得ることを知ってもらい、その上で一人ひとりが自分の考え方を形成していって欲しいからだ。

落ち込み というのも、米軍基地の問題は、結局、現在の世界において国際紛争にどのように対処すべきか、そこにおいて軍事力行使はどの程度容認されるべきか、その中で日本はどう振舞えばよいのか。このような問題に繋がっていることであり、しかもそれらの問題に対して、誰もが納得できるすっきりした解答を出すことは大変難しいからだ。

ロケット 基地の町に住む人の直接的な反対の理由は分かりやすい。厚木等でのジェット機騒音などの物理的な被害。そして、沖縄等で米兵がもたらす様々な犯罪や迷惑行為。また、我々が今度行く横須賀では08年から原子力空母が来るので、船に載せられた原子炉の不安問題がある。一方で、雇用など基地のもたらす地元へのプラス面もあるが、それでも反対の声は当然根強い。しかし、単に迷惑だから反対というだけであれば、「基地はどこかには必要かも知れないが、自分の近くではなく、よそに行って欲しい」というような地元エゴ的に聞こえやすいので、大体、米軍そのものへの反対論とセットになる。つまり「米軍基地そのものに反対。日本に基地は要らない。米軍のイラク攻撃などの世界での覇権的行為に反対。」という具合に、米軍の動きそのものに反対する声と重なることが多い。

笑い ということから、今度横須賀の基地を視る我々は、単に原子力空母が安全かどうかといったことを話し合うのに留まらず、いきおい、そもそも日本に米軍は必要か、米軍が日本から世界の様々な所に出動するのを日本としてはどの程度支援するのか、といった問題まで考えることになる。この問題に関して、最初から「もう自分はとにかく何でも反対」といった立場を決め込んでしまうならば、ある意味で簡単かも知れない。しかし、若い人が自分の頭と心で一から考えるのに、一緒に付き合うとなると、決め込みでは済まされない。一方で、我々は、軍事専門家でも国際関係論や国連の制度などの専門家でもない。しかし、人間として、皆自分の考えを持つ必要はある。というのが、今、私を含めて関係者が抱えている課題である。このブログで、次回以降、少し私自身の頭の体操をしてみようと思うので、もし宜しければ、皆さんのご存知の私の知っていない事実とか、私に抜けていると思われる発想など、何かあればご自由にコメントなどで教えて頂きたいと思う。 Nat