笑顔 その1で書いた通り、命のある生き物の意識は人工知能の思考とは異なり、脳神経の生理的機能が停止しても即それで意識も終わりかどうかは分からない。

OK では、このような生き物の意識について、未だ全く検証されてない仮説だが、私の思っていることを述べてみよう。恐らく命が誕生する時に、いわば「たましい」のようなものが、その肉体に宿る。たましいはそれ自体ではこの世の物質に対して作用できないので、肉体に宿る必要がある。特に重要なのは脳と、目や耳などだ。宿った肉体の目や耳で取り込む情報を脳で処理し、それに基づき肉体を通して外界に対して働きかける。これがあって初めて、たましいはこの世で振舞うことが出来る。これはパソコン(肉体)にソフトウェア(たましい)をインストールするのに似ている。

幽霊 このようなたましいについては、現在の物質の科学ではまだ把握できていない。そこで“状況証拠”的なものを探すことになる。良くテレビなどでもやっているが、死んだ人の霊が人に憑依することがある。霊媒の人が死霊を呼び込んで、自分の肉体を通して語らせるなどという現象もある。これらが、たましいが肉体に宿ることの状況証拠の一つだ。

月 一方、そうやって生きていた人が死ぬとどうなるか?肉体が機能を停止する時に、たましいは肉体を抜ける仕組みになっている可能性があると思う。たましいが肉体を離れることの状況証拠として、死の瞬間に体重が微小ながら減ることを測定した実験もあるが、信憑性は分からない。たましいが物質ではないにしろ、僅かな重量を持っている可能性は否定できないだろう。更に、いわゆる臨死体験という大きな分野がある。要するに一旦心肺が停止したが、何かの拍子で息を吹き返した人の体験だ。研究した本が多数あるが、死ぬ瞬間に、自分が自分の体を離れ、病院の部屋の天井あたりから、自分の体に心臓マッサージをする医師や看護婦の姿を眺めていたといった体験が多数報告されている。

日の出 更にもう一つは、生きている間の、幽体離脱と言われる現象だ。幽体とはたましいのことのようだが、要はたましいが体を離れて、宇宙に飛んだり、霊界のようなところに行ってくる体験があるらしい。アメリカの女優のシャーリー・マックレーンがその体験で本を書いている。新約聖書に出てくるパウロも、その手紙の中で類似の体験のことを書いている。最近では、元ソニーの技術者であった坂本政道氏が、米国のモンロー研究所方式でたましいが離脱する体験を、「死後体験」シリーズの本で詳しく報告している。高いレベルにまで達すると、絶対愛のような、それこそ神のようなものにも出会うと言う。そういう体験を生きている間に何回もした彼は、もうこれで、死ぬ時のたましいの離脱のしかたは、今から完全に分かったと書いている。

笑い たましいの宿り、離脱の両方について、これだけ状況証拠になりそうなものがある。中にはニセモノもあろう。しかし、もしこれらの中にホンモノがあるとすれば、これらは強い状況証拠になろう。このように、私は仮説としては、たましいの宿り・離脱は有力であると思っている。もっと科学者にもまじめに研究してほしい。

にっこり 次回その3で、前世の記憶のことに触れ、死後のたましいの行き先を模索する。 Nat