笑顔 前回のその2で、死んだらたましいが肉体を離れるという仮説は、状況証拠からは結構有力な仮説であると述べた。これを前提にすると、次に気になるのは、肉体を離れたたましいであるあなたの意識は、肉体を離れた後どこに行ってどういう感じになるのかだろう。
この「死んだらどうなる?」の記事を読みに来た人は要するにそこの所を知りたいのだろうと思う。

赤ちゃん まず、前世の記憶のこと。あなたは、前世は別の人の肉体に宿っていて、それでその肉体の死と共にその肉体を離れ、丁度その時お母さんのおなかの中で妊娠していた今のあなたの受精卵に移ってきたかもしれない。しかし、前世の記憶は多分あなたにはない。前に言ったように、どこにもその記憶がないのではなく、あなたの意識の奥の方の別のメモリーの中に隠されているだけかも知れない。それでも、問題は、通常の状態では、前の人の意識は、今のあなたの意識に連続していないということだ。とすると、もし、あなたが今回死んで、また次に誰かの肉体に移った場合には、今のあなたの意識は消えてしまい、あるいは隠されてしまい、次の人として、また一から始まるだけかも知れない。これでは、結局、あなたの今の意識は死んで「無」になるのと変わりない。

落ち込み このように、たましいが肉体を転々と移るだけのパターンのことを、あの仏教の始祖であるお釈迦様は、まさに命の悲惨な型と考えた。人生は苦しい。何度生まれ変わっても、その苦しい人生を繰り返すのなら、永遠の拷問のようなものだ、と彼は考えた。私は、そこまで人生が苦しみとまでは言ってないが、毎回、意識が振り出しに戻るのでは、つまらないと思う。いずれにせよ、お釈迦様の考えでも、私の考えでも、次も人間に生まれてしまうなら、あまり面白くないことになる。そこで、お釈迦様は、この永遠の拷問のようなサイクルからの離脱を考えたのである。肉体が死んで、たましいが別の人間の肉体に平行移動するのではなく、人間よりも高いレベルに移れればということだ。その為に、お釈迦様の考えたことは、生きている間に、たましいが、この世のしがらみから「解脱」する修行をしておく。そうすると、確実に、次には高い次元のたましいレベルに進歩できるというわけだ。

日の出 例の坂本政道氏が米国のモンロー研究所方式で、たましいの飛躍を経験しているのも、それに似ている。モンロー研究所のやり方でたましいの離脱を経験する場合、それで他人の肉体に移るということはない。必ず、別次元の世界に飛んでいる。そして、その場合は、今のあなたの意識がそのまま飛ぶ。とすると、もし、お釈迦様の修行による解脱か、モンロー研究所方式で飛べるように練習しておくと、実際に死んだ時に、高いレベルの方に、あなたの今の意識のまま移れるということとも思える。

笑い それで、次の高いレベルに行くと、そこはどんな世界なのであろうか? ここからまた続き。 Nat