この「死んだらどうなる?」シリーズは、前回の「その4」で当面は完了のつもりだった。ところが、なんと昨晩、私の古い友人が臨死体験をしていたことを知った。そこで興奮して、この「その5」を付け加えることにした。
彼とは久しぶりに会ったので、色々話を聞いたのだが、その中で彼は驚くべき話を始めた。暫く前に彼は一度ほとんど死んだという。駐車場で車を動かしていた彼は運転を誤り、大変なスピードで壁に激突したらしい。その瞬間、視界が超スローの画像のようになって、車のフロントガラスが粉々に砕けて飛散するのが実にゆっくりと感じられ、一つ一つのガラスのかけらが空中を飛ぶのまで見えたそうだ。その時彼は、自分は死ぬと分かったという。その後、駐車場の天井の辺りに自分は浮かんでいて、ぐしゃぐしゃにつぶれた自分の車に人が群がっているのが見えた。自分自身の姿は見えなかったらしいが。
そして、その後、彼はサーモンピンク色の世界に移る。そして、斜め上方向から親しかった人の笑顔が次から次へと出てきたという。そこで、その場面は終わり、ふと気がつくと病院に担ぎ込まれていたのだそうだ。そして、彼は、他の多くの臨死体験者が皆そういうように、死んだらどうなるか、もう分かったという。また、それ以降は自分の人生が少し違って見えてきたという。何かいつも、自分を客観的に見ることが出来るようになったらしい。
これまで、私は臨死体験の本は何冊か読んだ。特に有名なE・キューブラー・ロス博士の著作は印象深く覚えている。しかし、なにぶん本に書かれたことであって、書いているロス博士も私としては知らない人だ。だからどこまでが本当のことか分からなかった。ところが、私としては、初めて自分の知っている人が臨死体験をして、その体験を生々しく語ってくれたわけだ。割れたフロントガラスの破片のこと、壊れた車の上に浮かんでそれを見ていた自分、そして、サーモンピンク色の世界と親しい人の顔。全てリアルな体験として語られた。もちろん、ここまで聞いても、それらが全て、死に瀕したときの脳の特殊な機能から生じる幻覚と主張する人がいれば、本人も含めてそれを完全に否定しきれることはないだろう。
しかし、それでも、「たましい」が肉体に宿る、そして、死と共に肉体を離れる、この仮説は、やはり有力なものだろう。まだまだ科学的には立証できていない。しかし、臨死体験を語る多くの人たちの証言が、一つの有力な状況証拠を提供していると思う。私の友人の証言は、私にとって貴重な状況証拠となった。 Nat
彼とは久しぶりに会ったので、色々話を聞いたのだが、その中で彼は驚くべき話を始めた。暫く前に彼は一度ほとんど死んだという。駐車場で車を動かしていた彼は運転を誤り、大変なスピードで壁に激突したらしい。その瞬間、視界が超スローの画像のようになって、車のフロントガラスが粉々に砕けて飛散するのが実にゆっくりと感じられ、一つ一つのガラスのかけらが空中を飛ぶのまで見えたそうだ。その時彼は、自分は死ぬと分かったという。その後、駐車場の天井の辺りに自分は浮かんでいて、ぐしゃぐしゃにつぶれた自分の車に人が群がっているのが見えた。自分自身の姿は見えなかったらしいが。
そして、その後、彼はサーモンピンク色の世界に移る。そして、斜め上方向から親しかった人の笑顔が次から次へと出てきたという。そこで、その場面は終わり、ふと気がつくと病院に担ぎ込まれていたのだそうだ。そして、彼は、他の多くの臨死体験者が皆そういうように、死んだらどうなるか、もう分かったという。また、それ以降は自分の人生が少し違って見えてきたという。何かいつも、自分を客観的に見ることが出来るようになったらしい。
これまで、私は臨死体験の本は何冊か読んだ。特に有名なE・キューブラー・ロス博士の著作は印象深く覚えている。しかし、なにぶん本に書かれたことであって、書いているロス博士も私としては知らない人だ。だからどこまでが本当のことか分からなかった。ところが、私としては、初めて自分の知っている人が臨死体験をして、その体験を生々しく語ってくれたわけだ。割れたフロントガラスの破片のこと、壊れた車の上に浮かんでそれを見ていた自分、そして、サーモンピンク色の世界と親しい人の顔。全てリアルな体験として語られた。もちろん、ここまで聞いても、それらが全て、死に瀕したときの脳の特殊な機能から生じる幻覚と主張する人がいれば、本人も含めてそれを完全に否定しきれることはないだろう。
しかし、それでも、「たましい」が肉体に宿る、そして、死と共に肉体を離れる、この仮説は、やはり有力なものだろう。まだまだ科学的には立証できていない。しかし、臨死体験を語る多くの人たちの証言が、一つの有力な状況証拠を提供していると思う。私の友人の証言は、私にとって貴重な状況証拠となった。 Nat