笑顔 今年ももう直ぐ平和を考える8月。私の行っている横浜市の教会の若い人向け夏のプログラムで、今年は横浜大空襲の跡を辿る予定だ。1945年5月29日、米軍は3月の東京大空襲に続き、今度は横浜に対して大空襲を実施した。市街地を焼き尽くす焼夷弾を無差別に投下。一気に1万人の横浜市民が焼き殺された。

ドクロ しかし、このような恐ろしい無差別空爆は、人類の歴史の中ではもっと前からなされてきている。人類初の無差別爆撃は、1937年にスペイン内戦に干渉したドイツ軍がスペインの街ゲルニカに行ったもの。これで1600人以上が死んだ。しかし人類の歴史上、最初の組織的・持続的な無差別爆撃は、実は日本軍による中国の重慶爆撃である。重慶に逃れた蒋介石率いる国民党政府を壊滅するため、1938年12月から1941年9月までの3年近くの間、重慶市に対して200回以上に亘り空爆。11,800人(中国側発表)が亡くなった。

ドクロドクロ これに続き、1940年にドイツがロンドンに65日連続で無差別爆撃。英国はベルリンに報復の空襲。終戦真近の1945年には、米・英軍が、こんどはドイツのドレスデンに無差別爆撃(死者3.5万人)。そして米軍が日本本土各地に無差別爆撃(死者:東京10万人、横浜1万人、大阪1万人等)。ついには米国の原爆が広島(死者:14万人)、長崎(死者:7万人)に落とされ、無差別爆撃も極致に達した。そして第二次世界大戦が終わる。

ドクロドクロドクロ  無差別爆撃は、敵国の軍事施設をたたく「戦術爆撃」に対比して「戦略爆撃」ともいい、多くの市民を殺して相手国に戦意喪失させるものという。しかし、戦闘員でない多数の市民を犠牲にするので、国際法的にも早くから禁止の動きがあるにはあった。最初の動きは、1922年のハーグ空戦規則。第一次世界大戦(1914-1918)で人類は飛行機による攻撃という手段を手にした。これを受け、戦後に、非戦闘員への爆撃禁止を盛り込み、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、日本が調印したハーグ空戦規則だが、批准が進まず結局発効しなかった。それで第二次世界大戦後の1949年にジュネーブ条約が締結され、それの追加議定書が1978年に出来て、漸く「文民を攻撃の対象としてはならない。無差別攻撃を禁止する。攻撃は厳格に軍事目標に限定する。」という当たり前のようなことが国際法の根拠を得た。

落ち込み  しかし、私は、国際法違反かどうかよりも、人の心を問題にしたい。そこのところを次回。 Nat