326日に東電で動いていた最後の原発である柏崎刈羽原発の6号機が定検で止まった。これで、東電では福島が使えなくなったのに加え、柏崎の全原発も止まり、原子力発電は消えた。そして、5月に北海道電力の泊3号が止まると、日本中から原子力発電が消える。そこで政府は、この夏の電力不足の危機に触れ、東電管区でも4.9-13%の不足という数字が発表されている。
  

 ただでさえ弱リつつある日本の企業だ。それが電力不足で更に苦しみ、それに、電力コスト上昇が追いうちをかける。企業経営に係わる私としても、これは非常に悩ましい。しかし、だからといって原発の早期再稼動を認めるかというと、私はその立場ではない。まだ福島事故の原因はおろか、実際何が起こったのかも糾明されていない。3号機の使用済み燃料プールでは核爆発にまで至っていたとの情報もある。まず、福島の徹底糾明から、原発のあり方をゼロから考え直すことが必要だ。 
 

 現在、各原発にストレステストが実施されており、経産省はそれを経て、早期再稼動を目指す考えのようだが、本当にそれでいいのか? そもそもストレステストは、ある基準に対して安全性をクリアしているかの合否判断をするテストではない。各機器の許容ストレスを積み上げて、様々なリスクに対する原発の安全余裕度と脆弱点を洗い出すものだ。それもハード面が中心である。ストレステストが実施されたことは進歩ではあるが、ストレステストの結果から、その原発の安全性をどう判断するか、改修の必要性はどこか、これを判断するのは人間の総合判断である。然るに、その判断の重要要素たるべき福島の糾明が非常に遅れているのである。従って、今は先ず福島の糾明を急ぐこと。そしてストレステストの結果とも併せて、これから各原発のハード面の補強乃至は作り変え、そして、日本の最大の弱点のソフト(いざ事故の場合の組織・人的な対応指針)を構築していこうという途上の段階にある。このように、ストレステストと福島糾明は「原発やり直し・出直し」の出発点に過ぎない。前述の通り電力不足は非常に痛いが、ストレステストだけで再稼動というのは、責任感と良心のある者のすることとは思えない。(注:かと言って、私は「脱原発」にも反対していることは、228日の本ブログで書いた通りだ。それでは、世界・アジア・日本を却って危険に曝すこととなる。)
 

 しかし、原発のやり直し・出直しでは、時間がかかり、それまでの間、原発なしの日本は確かに深刻な電力不足と電力コストの高騰に苦しめられることとなる。それは間違いない。但し、その点に関する、政府の電力不足の予想などを聞いていると、意図的に不足シナリオを強調しているのではないかと疑いたくなる。東電の場合を見てみよう。昨年の8月下旬の時点で、東電の原発で稼動していたのは柏崎刈羽の5号・6号(計246KW)だけだ。福島がダメになったのは誰でも知っているとしても、実はそもそも柏崎刈羽は問題原発なのだ。そもそも2003年にデータ改ざん・トラブル隠しが発覚して全面停止に追い込まれた。更に20077月に震度6強の新潟県中越沖地震が発生。そのため火災事故等で止まって以来、実は福島事故の前から2-4号機はずっと再稼動出来ていないのだ。そして去年の8月に1号・7号が定検で停止して、8月下旬には5号・6号だけになったが、それでも夏を乗り切ったのである。 しかも、ご記憶のとおり、国民の努力で相当の余裕を残して乗り切った。つまり、乗り切った去年8月末の時点で既に、東電の原発(福島の10機、柏崎の7機、計17機)のうち、柏崎5・6号機の2機だけ(計246万KW、東電全体の5000万KWの僅か5%)しか動いていなかったのだ。今回は、この最後の56号機も止まったが、最後の2機(全体の5%)がなくなるだけなのだ。しかも一方で、去年は停止していた横須賀火力3478号等(計160KW)の活用も可能だ。そして、恐らく、去年から1年経過し、発表はしていなくても、東電の対応力で改善している面(復活水力や追加ガスタービン等の「隠し玉」)もあるに違いない。こうやって冷静に見てみると、政府の言う「電力不足」は、原発早期再稼動の為の政治的な情報操作という見方が消えないのである。    Nat


●3月15日追記: 昨日、政府が発表した、この夏の電力供給見通しでは、関西電力の猛暑の場合の14.9%
不足という点ばかりが強調され報道されたが、その陰で、東京電力は結局4.5%の余剰という計算になっていた。東京電力が3月に4.9-13%の不足というような見通しを出したは、やっぱり原発再開へ誘導するための情報操作だったと思うしかない。私のような素人がちょっと考えただけでも分かる安っぽいウソ偽りを出す東電、そして、それを無反省に報道する報道機関、嘆かわしい次第だ。 Nat