意識とは何か? これは現在の科学の中で、もっとも分っていない深遠なテーマだ。太古の昔から哲学者は様々な考察をしてきた。そして、現代の脳神経学者が、懸命に、意識を説明しようとしているが、脳神経学者と哲学者がまだ合流できない。
その中で、最近読んだ本『ソウルダスト-意識という魅惑の幻想』は秀逸である。ロンドン大学の心理学の教授であるニコラス・ハンフリー博士の著作だ。この本は、意識の神経学的な発生理由について、私の知る限り、人類初の斬新な仮説を打ち出したものだ。本人が認めているとおり、まだ入り口に過ぎないが、ワクワクする仮説を提示している。まだ別の機会にもう少し詳しく本ブログで紹介したいが、ひと言でいうと、まず生物の体に対する何らかの刺激に応じて発生する神経回路内の信号が、何らかの理由で刺激がなくなってもグルグル回ることが出発点。そして、次第に生物は、刺激を受けた自分が刺激を感じたことを自覚するという仕組みを持つようになる。そのような自覚の仕組みは、生存に優利な特質なので、その方向で進化が起こった。それにより、高等生物は「自分」を感じるという特質を得たという話しだ。
我々の意識を支える脳がこのように進化してきて、その結果、我々の意識を脳が支えているという話しは大変結構なことだ。意識を脳が支えているのは間違いない。だって、夜、脳がスイッチを切って休むとき、我々の意識はなくなるのだから、それは当たり前だ。我々の通常の意識は、物質である脳が支える。しかし、このことは、物質である脳を離れて意識があり得ないことにはならない。脳を離れた意識、いわゆる変性意識の存在の可能性、これは科学がまだ全く研究の着手も出来ていないテーマであろう。セーガンも書いているが、臨死体験、たましいの肉体からの離脱体験、霊媒のとりつなぎなどということもある。(但し、セーガンは、これらの殆どが科学的に立証できてない、あるいはマヤカシと書いているが)。そして、更にセーガンの「3つのテーマ」にも登場するテレパシー・念力、生まれ変わりの幼児、更にはセーガンは否定するがオーラ等と、科学者がまだ十分研究しきれてない事象仮説は色々ある。我々の通常の意識ですらも、まだ殆ど解明されていない。ましてや、脳の支えのない超意識なり、肉体を離脱したたましいの可能性については、私の生きている間に、人類の科学はそこまで到達しないであろう。
さてセーガンの書いていることに戻ろう。セーガンの主張は、専ら、進化も否定する多くのアメリカ人に向けられる。「信仰を守るために、科学的事実に目を背けるのか?」このことには、まったく異論はない。信仰を続けるために、科学を否定する必要は全くないからだ。私は、むしろ逆を言っている。もっと科学が大きく進歩して、「偶然」を神が支配し得るかも知れないこと、物質を離れた別の意識が存在し得るかも知れないこと等を、早く研究して欲しい。そして、それが大分解明された時点で、神が科学のメスで解明できるかというと、それは又違うと思う。人間の説き明かすこの世の物理・化学的な原理が、超意識やたましいを相当解明しても、神はなおその奥の奥のことであろうからだ。
昔、人は火山の爆発や雷を神の怒りの業と信じた。そのようなことが科学で説明されてきた今、「神の業」は狭い分野に追い込まれ、無くなろうとしているのであろうか? 断じてそうではない。火山のマグマの奥に、雷の電気放電の奥に、最終的には神に至るこの世の仕組みがまだまだ秘められており、人をそれを未だ知るよしもない。科学には更に進歩して欲しい。それにより、人類は神の存在の奥深さを更に確信するのである。私はそう思う。 Nat