★いよいよ明日から選挙戦。

● 日本人は国民性として「プロセス主義」だから、今回の民進党の分裂に対しても、小池の「排除」、前原の「裏切り」、枝野の「切られた側の踏ん張り」といった、党形成のプロセスで、いい悪いを選ぶ。昔、小沢一郎を「強引」と放逐した国民性がずっと続いている。日経などもその国民性に基づく論評を繰り返す。
● しかし、日本の政治の大局観からは、かかる「途中のプロセス・人間模様」は、変化の途中の一現象に過ぎず、そういう「プロセス」より「結果」として出来上がっていく政党体制こそが最大の注目点なのである。
● 衆議院は小選挙区制が中心であり、米国のような、政権運営能力のある二大政党の間の選択にならない限り、ずっと自民一極政治が続く。そこで、政権運営能力のある大政党で自民とは異なる政党が日本であり得るのか?-これが今回、唯一本質的に問われている論点であろう。
● そうなると、結局、まず自民党とは如何なる党か?が改めて問われる。私としては、自民党は、旧来の特に地方の商工・農林水・医療業者の業界団体を主たる支援基盤としつつ、戦後の中央官庁が供給業者側行政をパラダイムとしてきた事に呼応し、業界本位の、自民(政)、官、業界団体の三位一体で政治を動かしてきたものと理解する。その三位一体の中で、当然「癒着」「しがらみ」と目されることが多発する。
● 小池希望の党は、上記の供給業者三位一体政治を「しがらみ」と言い、そういう原理ではない「新しいパラダイム」の政権運営政党が日本に作れないかという命題への挑戦をしようとしているものとも思える。もちろん小池・前原にそんなことは出来ないと決め付ける向きには、上記の挑戦うんぬんは「買いかぶり」となる。しかし、私がここで言っているのは、実際の小池新党がそうなれそうかではなく、日本は、第二の政権運営可能政党を求めているということだ。
● 自民党の供給業者三位一体政治とはパラダイムの異なる新政党はどういうものになるべきか? 旧来の業者団体や労組の利害の為という「しがらみ」ではなく、全国各地の消費者側という、組織化されていない国民の利益を代弁する政党。また、供給者論理に偏した中央官庁に対して適度のチェック&バランスと政策からの政治誘導の出来る、そういう政党。これが出来ると、米国の民主、共和のような二大政党時代になれる。
● 枝野立憲は、今回、判官びいきの票を集めようが、結局、従来の社会党だし、前に政権についた時には、何も出来なかった(野田が消費税上げただけ)の、あの流れを継ぐだけ、あるいは労組ベースの政党になるだけだろう。永遠野党としては意味あるが、政権を担える「もう一つの選択肢の政党」ではないと判断する。
● 以上が大局観からの情勢認識だ。しかし、最大の悩みは、今、上記の意味での第二政権政党を目指そうとしているのは、唯一小池新党だが、日経に言われなくても、小池新党はまだ中身は矛盾だらけ、議員候補も体制もあまりにボロイことだ。何ごとにも「生みの苦しみ」があるが、余りにも頼りない。結局、漁夫の利を得るのが安倍自民党という気もする。
・・・ああ、日本どこへ行く?だ。   Nat