★ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「一神教」と言われる。間違ってないが、それに ”言いがかり” をつけるみたいなことを一言。
● 旧約聖書の描く、古代からのイスラエル・ユダヤ社会の信仰の中身が「一神教」と言い切れるかというと、そうでもない。
(1)バビロン幽閉の頃以降のユダヤ社会で支配的信仰となる神は、確かに旧約聖書の神、即ち、「ヤーウェ」という名の一人の神である。しかしそれまでは、他にも人気の神として「バール」という豊穣の神もあり、それを拝む儀式が結構性的な祭儀で人々を興奮させた神であった。ユダヤの人びとは、苦難に会う度に、元々はイスラエルの先住民の土着の神の「バール」ではなく、「ヤーウェ」信仰に一元化していくのである。
(2)更に、一元化したあとも、旧約聖書に「我々の神(ヤーウェ)は、神々の中でなんと優れた神か」と頻繁に書かれているように、彼らの世界観としては、『世界には多数の神がいる。しかし、概ね、各民族に個々の「専属」の神がいて、結局、「ユダヤ民族の専属の神は「ヤーウェ」である』という位置づけに落ち着いたのだ。しかもユダヤ民族は、いつも虐げられてきたが、実は、そんな弱小ユダヤ民族の専属の神「ヤーウェ」こそが多数の神々の中で最強の神なのだと、超逆説的に信じたのである。だから、彼らの世界観そのものは「世界に神は一人」ではない。「世界には無数の神がいる、しかし自分の信じるのは自分の専属のヤーウェ神だけ」という、結構、偏狭で思いつめた神観なのである。
● 一方、ユダヤの「ヤーウェ」信仰に基づき、イエスという人をきっかけに成立したキリスト教では、成立後、急速にヨーロッパ世界に広がり、「世界宗教」になるので、その辺から、「世界観」としても「世界に多くの神々等はいない。キリストの証した、キリストの父なる神しかいない。」という「一神教」に発展、更に、それを踏襲したイスラム教が登場、一神教の別の形態を形成する。
● ということで、「一神教」というのは、原理的に、世界宗教にならないと成立しない。少なくとも古代ユダヤ教は、『世界にいる多数の神々の中で、よりにもよって、超弱小のユダヤ民族の専属の契約をしてくれている、マニアックの神「ヤーウェ」がいるのだが、実は、この「ヤーウェ」こそが世界最強なのだ。』というものなのだ。ここが、旧約聖書の神の変わった所でもあり、面白い所でもある。 Nat