★2月25日のロシア侵攻以降、ここFacebookでの私の意見に対する、皆様のコメントとのやりとりで、私の「和平路線」指向に対し、「徹底抗戦こそが正解」とのご意見も頂いてきた。
● 即ち、まず私の「和平路線」だが、「今の局面では、一旦悪魔プーチンの武力行使に対し“降伏”的になろうとも “和平”合意し、まずは戦乱を収める。そして、悪魔プーチンへの鉄槌は、今後、世界と共に別途非武力的に制裁で実現していこう」になる。
・・・それには、一つには「この場の武力対決では結局ロシアに敵わない」との情勢判断もさることながら、以下の、かなり「イデオロギー」的な私の思いが背景にあると思われる。
(1) 徹底抗戦的な考えは、私がウクライナ人であれば、今、ウクライナで戦火の中にあり、私自身も死を覚悟しつつ、そう主張しているかもと思う。しかしその結果、非常に多数の死者・犠牲者が出るだろう。それを考えると、私自身や私の家族の命は全く守られているこの日本から、「ウクライナの人は皆死んでも徹底抗戦しろ」とは、私には、とても言えない。
(2)更に、敗けるにしろ、徹底抗戦しておいたほうが、その後の世界の支援・支持が違ってくるとのご意見もあるが、逆の面もあろう。昔の社会党のごとき「非武装・非戦」は現実的な国家政策たり得ない。即ち、いざとなると自衛戦のできる武装は必要であろうが、今回の場合は、武力対抗路線でない道もあったのではないか。プーチンは、ウクライナ・ゼレンスキー勢力を狂信的国粋主義者とし、東部でロシア系住民が大虐殺されていることへの防衛・対抗手段と偽って侵攻してきた。これに何ら抗戦しないのも難しいが、国際的に「100%、ロシアの一方的侵略」であることを後で立証するためにも、言わば「ここは、プーチンにやらせておく」手もあったように思う。そしてプーチンへの鉄槌は、後刻、世界と共に非武力の徹底的制裁手段で行う。
● 以上の、私の辿った思いだが、自分で気がつくのは、温暖化問題や日銀財政問題などと違い、こと「戦争と平和」問題になると、私の心には、「非武装主義」まではなくても、どうしても「武力非行使」の思いがあるということだ。大したキリスト者ではないが、少しはそういう面もあるということか。どうしても、一旦「闇」に好きなようにさせても、究極的には神による「光」が支配するとの信仰で生きているからだ。
・・・以上で、純粋、独立国の戦術論・戦略論以上に、いわば個々人のイデオロギーや信仰が影なり光を指す問題であると思う。

Nat


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