★今朝の日経新聞の一面に、連合会長の芳野氏のコメントが載っている。
◆ 芳野氏いわく「経済の要は労働だ。各党が掲げる労働政策からは、その先にどんな社会像を描いているのかが見えにくかった。」
・・・確かに皆、個別政策を掲げるが、どういう社会像を目指しているのかは、案外クリアではない。
◆ そして、言わせていただくと、では、芳野氏の思っている「目指すべき社会像」はどういうもので、それが適切か?が問われよう。
・・・芳野氏は言う「 議論となった解雇規制の見直しもそうだ。自発的な雇用の流動化は決して否定しないが、流動化を政策的に促すのは良いことなのか。若いころは転職可能でも年齢が高くなると難しくなる。不安定雇用が増えるおそれがあれば将来不安につながるし、経済活性化の面でも危うさを感じる。」
⇒ これから、結局、芳野氏は、戦後の日本がかなり独自の社会構造として構築してきた「ムラ社会的企業体系」・・・これが崩れることでの労働者の不利益を最も懸念していると見れる。
【1】私の言う「ムラ社会的企業体系」というのは以下だ:
・高度成長期で、どの企業も成長を謳歌できたという背景が大前提になっているのだが、各企業体ごとに「社員のムラ社会」を構成する。その各企業が隣の企業(隣のムラ)をライバルにして、市場シェアを競い合う。結果、どの企業も成長して繁栄していく。
・各企業が「ムラ単位」で、社員とその家族の一生の安寧を保証し、社員はその一生をそのムラ(会社)に捧げる。
・戦後の途中からは、国も、特に企業ムラでカバーされない残りの国民のために国民健保やら国民年金やらの公的な社会保障制度も作っていくが、企業ムラでカバーされている国民は、企業ムラ単位で福祉を追求してきたのだ。それが日本モデルだ。
・結果、終身雇用・年功序列、企業ムラへの毎年の一斉の新卒の採用、終身奉仕すると最大化する退職金制度という世界でも稀な制度、そして、企業単位の労働組合(というか仲良し社員組合)、などの日本独自の制度で、企業ムラが運営されてきた。
・そして、その企業ムラの中で、一番シニアな人が順繰りで経営陣の椅子に座り、中間層は、来年のムラの人事がメインの関心事、みな「働いているつもり」だが、実は「ムラごっこ」をしているだけ。イノベーションなどは誰も目指していない。更に「働かないオジサン」、ここのところ「解雇規制問題」で論じられているこの層も、平和にムラの中で飼われている。
・毎年の春闘。労組の要望への満額回答という儀式でシャンシャン。労使の対立的関係はほぼなく、融和的なムラ文化の中の儀式でしかない。
・ムラを飛び出して、別のムラに入ろうとすると、よそ者扱い。高い報酬では、新卒採用以降、毎年、序列を上がってきたムラの村民の報酬体系になじまないから、よそ者の報酬は低く抑えるしかない。・・・結果、転職すると損するから、多くは元のムラに留まる。
【2】 「欧米」と一概には言えないが、上記に対して、欧米の良くあるモデルでは、「企業はビジネスのための道具」、経営陣も社員も、自由意志の契約で、契約の期間だけその企業に係わる。
・・・しかし、とかく、企業のほうが強くなりがちなので、一般労働者は、産業別に労組を組み、力で企業に交渉していく。
・・・日本のムラのような超安定性を欠く分、国、社会全体でSafety netを敷く。
◆ という【2】のが欧米モデルとすると、【1】の日本は、圧倒的に個々人の一生の安寧・福祉を、個々の企業ムラ単位で、私企業が行うシステムになっている。企業はビジネスのための道具ではなく、ビジネスをテーマに集まった社員の福祉の仕組みなのだ。
・・・しかし、30年前に終わった高度成長以降、この【1】の日本モデルが、社員家族の安寧のためにはいいかも知れないが、ビジネスの仕組みとしては、イノベーションを産み出せない、ムラ運営でしかなくなっており、かつ、欧米モデルのライバル企業が純粋にビジネスで勝負しているのに対し、日本のムラ企業はビジネスをやっているふりをして半分以上は社員の福祉をする仕組みなのだから、勝負にならない、という問題が露呈して、もう長いのだ。
◆ これを急速に欧米モデルに変えると、変化についていけない多くの犠牲者が出るのはそうだろう。しかし、連合の芳野氏のコメントからは、日本のムラ企業モデルを改革していこうという指向性は、連合だから当然だろうが、全く感じられない。日本のムラ企業モデルの延命に必死としか見えない。
・・・この際、国民民主党のような党は、次第に連合依存から脱却して、もう機能不全になりつつある日本のムラ企業モデルから、日本型の次世代モデルへの転換を追求してほしい。  Nat

============================================
<加筆>
 もう少し、欧米と日本の文化的・歴史的な違いを背景として書いておこう:

・・・背景の一つには、日本は、明治維新も含めて、欧米の多くの国のように市民革命を経ては来なかったので、「個々人の契約」という意識が発達しなかったことがある。

・・・あと、もう一つ、欧米も全部がプロテスタント主流国家ではないものの、欧米で重要な思想となったプロテスタンティズムがマックスウェーバの説のように、資本主義的な就労も、個々人と神との関係における奉仕と捉えられ、だからこそ、勤め先とは契約関係(忠誠関係ではなく)でしかない、という風に理解される。(日本でも私個人のようなプロテスタントはその見本だろう。)

・・・いずれにせよ、日本が次にどこに進むのかは、まだこれからだ。しかし、芳野氏の発言にはそれへの示唆が全く見られない。単なる守旧、利権保護にしか聞こえない。 〆

nikkei.com 連合