★以下コピーの日経新聞報道で、「北海道と本州を結ぶ送電線(日本海ルート)の新設計画に懸念が出ている。」というのがある。
・・・2016年の電力業界自由化以降の今だから、新しく必要になる送電線敷設事業も入札方式だ。つまり「敷設をやりたい業者」に手を上げさせるが、「誰も手を上げないでもしょうがない」という「市場任せ」の集団無責任主義になってしまっているのだ。
◆ これに対して日経新聞は、国に気を遣って、表面的・現象的な報道しかしない。だから、私から、これは国の基本的政策・仕組みの根本的な制度欠陥であることを指弾しておきたい。
(1)自由化以前は、しっかり供給確保される仕組みだったが、経産省がそれを壊してしまった:
・・・2016年の電力自由化前の地域電力会社が地域独占の時代には、供給責任の見返りに、送電線も含めて供給整備義務もあったのだ。そして包括原価制で、送電線敷設を含めて、全て必要な投資は地域電力会社の責任、その代わり、建設コストなどが高騰した場合には、一応政府の確認了承は要ったが、基本的にコストが上がった分も含めて、投下した全ての資本の回収が保証される仕組みであったのだ。
・・・しかし、2016年に経産省が自由化をしてしまった。
・入札制度では、落札した業者が、契約した後にコストが急上昇した場合は、契約上の一定の救済措置はあるのが普通だが、かなり業者リスクになっている面が強い。だから、以前の包括原価制度の時のような「実質保証感」に乏しく、業者に大きな不安が残る制度欠陥があるのが実態なのだ。
・・・つまり誰も供給確保の最終責任を負っていない。ならば、誰も手を上げなかった場合、国としては困るのだから、最後には政府が供給責任を負うのかというと、全くそういう制度にもなっていない。国全体で「集団無責任」をやっている。そして国民はそれを知らない。報道が批判を遠慮しているからだ。
(2)送配電・系統整備分野は、実質的に、昔の包括原価制度、地域独占/義務制度に戻すべき:
・・・個々の発電所プロジェクトは、自由化での入札でも、まあいいだろう。(但し、新増設原発だけは、国家的にやるべきだが。)
・・・しかし、何度も何度も何度も言っているとおり、個々の太陽光や風力発電案件など再エネ発電を自由にやらせた結果、その割合が増えると、地域間の送配電キャパが不足する。また、お天気次第の再エネ発電は、系統サイドで膨大な調整蓄電能力と疑似制限波に整備する系統統合システムの膨大なる投資が要るのだ。
・・・それも、あれも、自由入札で何とか出来ないか、経産省は苦悶している。
・・・ 自由化してしまった彼等のメンツもあるだろうから、表面的に入札のふりを続けるのでもしょうがないが、実質、総括原価制に近い資本回収保証の仕組みを復活させること、そして、それでも誰もやらない場合は、最後は政府自身が手を上げること、この法制化、これに改めるべきであることは、小学生でもわかる理屈だろう。