信じて生きている事
★★北朝鮮拉致の横田めぐみさんのお父さん、横田滋さんのご逝去。
●奥様の早紀江さんが、滋さんの死の床で「天国で待っていて」と囁いた話が報道され、涙を誘っている。
●日本人でも「あの世」を「天国」と表現する人もいるが、早紀江さんと滋さんの最後の会話の中で「天国」が会話されているのには、多くの人が関心を払ったのではないか。
●早紀江さんは、前から神奈川県川崎市の中之島キリスト教会というプロテスタント系の教会の教会員だ。しかし、夫の滋さんは、北朝鮮が娘を拉致する等の理不尽な出来事の前に「神はいない」と発言していた人だ。それが、体調もすぐれなくなっていた2017年11月4日に、上記の教会の牧師から自宅で洗礼を受けたと報道で解説されている。滋さんも思う処あったのであろう。
● 一方、めぐみさんの帰国は実現されないままだが、早紀江さんは、めぐみさんら拉致被害者の帰国への運動に半生を懸けた滋さんに敬意を感じ続けながらも、最後には「人の力による人生」ではなく「神に委ねる人生」を選んだ滋さんのことを、神さまに感謝していたはずだと思う。・・・・それが、今回報道されている死の床における「天国で待っていて」発言の背景にある、早紀江さんの心であろう。私はそう思う。 Nat
★★ 久々に一人のクリスチャンとしての投稿。
● 今月は、私の教会(田園江田教会)で私が担当しているジュニア・チャーチ(日曜朝9時からの、こども・若者等中心の教会)では、新約聖書の使徒言行録という処から、イエスの十字架刑・復活の後、残された弟子たちが、広く国内外に「復活のイエスこそは救い主」との信仰を伝えていく有様を辿っている。
● 2000年も前のことだから、正確な年月はさておき、ざっくりいうと:
① AD 30年:イエスの刑死と復活
② 直後から、イエスの弟子たち(ペトロら)が初期のエル
サレム教会集団を形成
③ AD 35年:エルサレム等でペトロらの集団に最初の大迫害が発生。多くがシリア・トルコの方向に飛散。その過程で、後に聖パウロと呼ばれるサウロが幻の中でイエスに出会い、イエス・キリストを信じる人に転向。その信仰をシリア・トルコ等に勢力的に伝え始める。
④ AD 46年:パウロたちのシリア・トルコ伝道の結果、シリアにアンティオキア教会(ここでユダヤ人を越えて外国人を含む信徒たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれる)が成立。
⑤ その後、パウロらにより、アンティオキア教会等を拠点として、信仰がローマにまで伝わり、後の世界宗教になる。
● 今日、私が思ったのは、当時の拠点であるアンティオキア教会、皆が祈り合い、復活したイエス・キリストへの信仰を世界中に広めたいと思ったその群れに、もし可能なら、タイムスリップして入り込んでみたいということだ。
● 刑死してしまったイエスのことを「復活し、永遠の救い主となった」と信じる人たちが、直後から発生し、それが結構短期間の間に、更に北方のシリアのアンティオキア等、外国人にまで拡がって祈る篤い集団になった。これは(1)集団詐欺・集団幻想か、(2)多くの人の魂を揺り動かす何か「とてつもない大きなこと」があったからか、そのどちらかと思われる、・・・・そして、現代でも、それを聞かれた人は、3種類に分かれる:
【1】 そもそも、無関心な人(2000年前のこと、どう思うか、聞かれてるのだから、これ多数が当然!)
【2】上記(1)の通り「集団詐欺・集団幻想だ!」と判断する人(科学的な認識を重視すればするほど、そもそも「復活」なんてアホらしい。だから、これ普通。)
【3】最後に、上記(2)の通り、パウロやアンティオキア教会の人たちの信仰を、場合によっては、アホらしいと言われながら、何故だか、自分の信仰として受けとめて生きることにした人(ある意味で変わった人)。
● この3種類だ。・・・この、どれを選ぶか? ---- 判断基準として「史料」の類では、所詮古い話だから断片的なものしかなく、それでは結論は出ない。「科学的」には、たとえ ”聖人” でも、まさか復活などあり得ない。とすると、各自、そもそもこの設問をパスするか、自分の「生きざまの選択」として、これを選ぶしかない。そして、私は、アホと言われようが何であろうが、【3】の生き方を選んで生きているということだろう。・・別の選択をしている人には、ちょっと分からないだろうが、クリスチャンとは、そういうものだと思う。 なのです。 Nat
★ NHKで「ちょっと飛び抜けて数学等が出来る ”天才” っぽい子、でも群れの中で生きるのが苦手で苦労する子」のことを、アメリカでのそういう子を呼ぶ呼び方「Gifted」を踏襲して、「ギフティッド」「ギフティッド」と言って報道している番組があった。 途中で直ぐ見るのを止めた。
● NHKだけがおかしいのではないが、アメリカでそういう子を「Gifted」と言うのには強い疑問を感じる。アメリカ等でGifted, talented childrenというのは、数学などで突出した才能を持った子を、「飛び級」的に大学レベルの数学などを学べるようにする「配慮」、仕組みの関連でのことだ。
● 飛び級制度には若干の留保事項はあるが、一般的には、私は賛成。
● しかし、非常に疑問を感じるのは、そういう数学飛び級などの子に「gifted」「talented」というレッテルを貼ることだ。
● アメリカが元は新教クリスチャンが作った国なら分かるだろう。全ての人間は、それぞれのgift, talentが与えられているというのが彼らの信仰であったはずだ。Talent=タレントという言葉も、聖書の中の通貨タラントから来る。タラント(talent=才能)は、その大きさ、人との優劣ではなく、その人固有のタラントを神がそれぞれの人に託した、、というのがクリスチャンの信仰である。
● その観点から、数学だけ突出して社会に馴染めない子を「保護」し「応援」する観点からであったとしても、そう言う子にだけ「gifted」「talented」というレッテルを貼るのには、どうして強い抵抗がある。人は、皆、それぞれ gifted であり talented なのだから。 Nat
★また、スリランカでも、イスラム過激派と思しき集団のキリスト教集団への同時多発テロ殺人。
● 宗教が理由の大量殺人・・・胸が痛むが、人類史上、国対国などの「戦争」(領土・経済利権などを巡る争いからの戦争」以外の大量集団殺人はその非常に多くが「宗教殺人」であるから悲しい。
● 旧約聖書は紀元前1200年くらいの古代イスラエルの歴史から始まるが、そこにはユダヤ民族とそうでない民族との間の血なまぐさい殺戮の歴史が描かれている。それは上記のような領土・経済利権からの「戦争」であると共に、イスラエルの神でない神を奉じる異教徒は抹殺してもいいという「宗教戦争」=「聖戦」でもあった。
● イエスとその使徒たちのことを書いた新約聖書では、イエスをフォロ-した、後の「キリスト教」となる新興宗教の一派を、ユダヤ人たちは伝統に沿い、「神に代わって」殺戮したことが書かれている。
● そういうキリスト教徒は、まず11~13世紀にはエルサレム奪還とかで、欧州のキリスト教軍団がイスラム勢力と200年以上の殺し合いを繰り広げた。更に、キリスト教内でプロテスタントが発生すると、16~17世紀には、カトリックとプロテスタントが殺し合いの戦争する。それが近年までアイルランドの内戦のように続いてきた。
● 近代まで、大量殺戮の主体は、専らユダヤ教かキリスト教勢力と思っていたが、現代のテロはイスラム過激派主体になってきている。Anyway、全て「聖戦」だから、たちが悪い。信じる神の為に、別の神を奉じる人達を抹殺して、それを是とする。
● しかし、私の信じる神は、あの自らの命で捨ててまで人を愛そうとしたイエスキリストの証しした神である。私の信じることの中からは「聖戦」で異教徒を殺戮するロジックは絶対に出て来ない。そして、今まで3000年続く「聖戦」の大量殺人に、何よりも、心を痛めているものがあるとすると、神そのものと思う次第だ。「待った!溝口さんの言う神とはどの神??」と聞かれたら言おう「私の信じる神、あなたの信じる神、全ての神が、人類の大量殺人を嘆いていると信じる次第」と。そして、皆で一緒にそれぞれの信じる神に人類の平和を祈りたい。 Nat