♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

信じて生きている事

★なぜTVは、株価の上下の一喜一憂を報道するのか?

★株式市場は、上がったり、下がったりが当たり前だが、個々のところは、Deep Seekショック、トランプ関税ショックで、大きく下がって、それが少し戻している。
・・・それをTVでも、いちいち大大的に報道する。images
◆何度も言うが、日本人個人で直接 株を持っている人は非常に少ない。
・個人株主数(延べ人数)は2023年度末時点で約1,525万人。
(投資信託や保険・年金で間接保有の人は除く。)
・個人投資家の平均保有銘柄数は約12.9銘柄。
⇒ よって、実際の株式保有個人の人数は118万人しかいない計算になるのだ。100人に1人だけ!! 残りの99人は、実質、毎日の株価の動きには全く影響受けない人なのだ。
◆ そして、100人に1人の、影響受ける株保有人間は、スマホとかで常々、自分で株価の動きはチェックしている。だから、TVで報道する株価を見ることの意味ある視聴者は、極めて少ない。
・・・企業も株価には影響受けるが、企業のその関係の部局は、自ら株価はフォローしている。TV報道で気がつくのは職務怠慢であろう。
・・・また、確かに年金生活者とかも、長い目では周り回って株価低迷とかの影響は受ける。しかし、DeepSeekショックとかでの急落とかの「株価の一喜一憂」とは全く別の時間軸の人たちだ。
・・・非常に大きな上下なら、話題性としてのニュース価値はないではない。しかし、もう毎日、毎時間、しつこく、日経平均の細かい上下でも報道する。全く意味なく、煩い だけだ。
⇒ なら、TVが株価の日々の上下の一喜一憂を、いちいち報道するのは誰のため?何のため?・・・もう恐らく、前からそうしているから、、、とか思考停止しているだけか、あるいは、穿った見方としては、証券会社など株屋さんが、株への関心を煽って欲しいのに付き合っているのかもしれない。経済ニュースの解説は、やたらと株屋さんのアナリストだからね。
・・・Anyway、私は、あれは異様で、うざったいと思う。  Nat

★誰も買わない日本株 ーー 産業集約しないとダメ

★昨日、東証の大納会。岸田首相が挨拶に来るのを、“落ち目・祟り目の首相” で縁起が悪いと揶揄する向きもあったようだ。一方、岸田首相は、来年こそ「貯蓄から投資へのシフト」の年などと言っていたみたいである。ダウンロード 大納会
・・・しかし、今朝の日経社説では、日本株は今や日本国内でも海外からも、誰も買ってくれない、魅力の乏しさがあると述べ、ROEを高める経営をやってほしい、総花的経営を脱し事業集中等でROE引き上げを、と書いている。
◆ まず、日本株に誰も期待しないのは、過去30年で欧米他国では株式相場が普通に数倍になっている処、日本株だけは株価がずっと低迷したままだからだ。
・・・以下のチャートを見ればわかる。1990年にバブルが弾けて以来、株価は多少ジグザグしているが低迷したまま。30年、株を持っていても値上がりしないのだ。
・・・2013年からのアベノミクスで、どん底からの回復は出来てきているようにも見えるが、それは ①日銀がひたすらに日本株を買い支えてきた人工的相場であり、また、②金融緩和での円安効果が暫くあったこと、③金融緩和の金余り、が背景であって、何も日本企業・産業が大きく改善した訳ではない。
◆ 日本企業・産業が根本的にダメな構造は、何度も言うとおり、日本企業の売上高付加値率が18%位と、例えばフランスの22%、韓国の製造業の25%(日本の製造業20%)等に比べて低いことにある。
・日本の一人あたりGDPが低いのも、これだ。
・しかしこれは一人あたりが生み出す製品・サービス(財)の「量」が、日本人の生産性が低くて少ないというものでもない。⇒ 生み出す財の「量」はそこそこだが、「財」のPricing、要は市場での値段付けが、日本では超・過当競争のため低く抑えられているものだ。
・GDPに対する輸出の貢献度は限られるので、過当競争は、専ら国内での潰し合いと思っていい。
・二つ目のチャート、前にも掲載したものだが、日本は中小・零細企業の数が異様に過剰であるが、日本では企業(会社)というものが、「利益のための道具」ではなく、「生きた人間の居るムラ」という文化があるから、ライバルに会社や事業を売ったり買ったりする事での
「産業集約」が全く進まず、多過ぎる会社同士で値引き競争で潰し合っているのだ。
⇒ だから、これまでも何度も、日本の産業は「産業内での横M&A」で企業集約する、政府は「横M&A」促進のための思い切った税制などを、と主張してきているが、日本文化的には「イヤがられる施策」なので、そういう政策を主張する政党はない。
◆ しかしもし本当に企業集約され、日本の異様な過当競争・値引きが改善され、財のPricingが「正常化」してくると、たとえ経済規模が横這いでも、そのPricingの改善だけでGDPも大きく伸びるし、企業の労働分配も利益も全て伸びるのだ。
・数字で言うと、今は売上100、仕入れ82、付加価値18。これが売上の量は同じでも、Pricing改善で10%価格改善できれば、まず売上110、仕入れは未だ変わらないと82、付加価値28になる。
・しかし、仕入れ先の企業もPricingを改善してくるだろうから、そのうち仕入れPricingも10%改善すると、究極的には付加価値は110-90=20に収束するが、付加価値18が20と1割向上する。GDPが1割向上するのだ。しかも量的拡大なしにだ。
◆ この話を何度も何度も言うのだが、なかなか同調する人が少ない。この根本的構造を変えないで、小手先だけで「仕入れコストのアップは出来るだけ価格転嫁できるように交渉しましょう」とか「今年は賃上げ促しましょう」等と掛け声だけでは、日本経済は全く動かないのだ。・・・以上、年末に書いておく。 Nat

株価長期推移 221231_page-00011. 日本産業 寡占度 付加価値 211210_page-0001


★★横田滋さんへの早紀江さんの「天国で待っていて」について

★★北朝鮮拉致の横田めぐみさんのお父さん、横田滋さんのご逝去。

●奥様の早紀江さんが、滋さんの死の床で「天国で待っていて」と囁いた話が報道され、涙を誘っている。

●日本人でも「あの世」を「天国」と表現する人もいるが、早紀江さんと滋さんの最後の会話の中で「天国」が会話されているのには、多くの人が関心を払ったのではないか。

●早紀江さんは、前から神奈川県川崎市の中之島キリスト教会というプロテスタント系の教会の教会員だ。しかし、夫の滋さんは、北朝鮮が娘を拉致する等の理不尽な出来事の前に「神はいない」と発言していた人だ。それが、体調もすぐれなくなっていた2017年11月4日に、上記の教会の牧師から自宅で洗礼を受けたと報道で解説されている。滋さんも思う処あったのであろう。

● 一方、めぐみさんの帰国は実現されないままだが、早紀江さんは、めぐみさんら拉致被害者の帰国への運動に半生を懸けた滋さんに敬意を感じ続けながらも、最後には「人の力による人生」ではなく「神に委ねる人生」を選んだ滋さんのことを、神さまに感謝していたはずだと思う。・・・・それが、今回報道されている死の床における「天国で待っていて」発言の背景にある、早紀江さんの心であろう。私はそう思う。   Nat

画像に含まれている可能性があるもの:里井 弘子

クリスチャンは何をどう信じているのか??

★★ 久々に一人のクリスチャンとしての投稿。

● 今月は、私の教会(田園江田教会)で私が担当しているジュニア・チャーチ(日曜朝9時からの、こども・若者等中心の教会)では、新約聖書の使徒言行録という処から、イエスの十字架刑・復活の後、残された弟子たちが、広く国内外に「復活のイエスこそは救い主」との信仰を伝えていく有様を辿っている。

● 2000年も前のことだから、正確な年月はさておき、ざっくりいうと:
① AD 30年:イエスの刑死と復活
② 直後から、イエスの弟子たち(ペトロら)が初期のエル
サレム教会集団を形成 
③ AD 35年:エルサレム等でペトロらの集団に最初の大迫害が発生。多くがシリア・トルコの方向に飛散。その過程で、後に聖パウロと呼ばれるサウロが幻の中でイエスに出会い、イエス・キリストを信じる人に転向。その信仰をシリア・トルコ等に勢力的に伝え始める。
④ AD 46年:パウロたちのシリア・トルコ伝道の結果、シリアにアンティオキア教会(ここでユダヤ人を越えて外国人を含む信徒たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれる)が成立。
⑤ その後、パウロらにより、アンティオキア教会等を拠点として、信仰がローマにまで伝わり、後の世界宗教になる。

● 今日、私が思ったのは、当時の拠点であるアンティオキア教会、皆が祈り合い、復活したイエス・キリストへの信仰を世界中に広めたいと思ったその群れに、もし可能なら、タイムスリップして入り込んでみたいということだ。

● 刑死してしまったイエスのことを「復活し、永遠の救い主となった」と信じる人たちが、直後から発生し、それが結構短期間の間に、更に北方のシリアのアンティオキア等、外国人にまで拡がって祈る篤い集団になった。これは(1)集団詐欺・集団幻想か、(2)多くの人の魂を揺り動かす何か「とてつもない大きなこと」があったからか、そのどちらかと思われる、・・・・そして、現代でも、それを聞かれた人は、3種類に分かれる:
【1】 そもそも、無関心な人(2000年前のこと、どう思うか、聞かれてるのだから、これ多数が当然!)
【2】上記(1)の通り「集団詐欺・集団幻想だ!」と判断する人(科学的な認識を重視すればするほど、そもそも「復活」なんてアホらしい。だから、これ普通。)
【3】最後に、上記(2)の通り、パウロやアンティオキア教会の人たちの信仰を、場合によっては、アホらしいと言われながら、何故だか、自分の信仰として受けとめて生きることにした人(ある意味で変わった人)。

● この3種類だ。・・・この、どれを選ぶか? ---- 判断基準として「史料」の類では、所詮古い話だから断片的なものしかなく、それでは結論は出ない。「科学的」には、たとえ ”聖人” でも、まさか復活などあり得ない。とすると、各自、そもそもこの設問をパスするか、自分の「生きざまの選択」として、これを選ぶしかない。そして、私は、アホと言われようが何であろうが、【3】の生き方を選んで生きているということだろう。・・別の選択をしている人には、ちょっと分からないだろうが、クリスチャンとは、そういうものだと思う。 なのです。  Nat

ダウンロード パウロ

「Giftedな子」という言い方、おかしい。

★ NHKで「ちょっと飛び抜けて数学等が出来る ”天才” っぽい子、でも群れの中で生きるのが苦手で苦労する子」のことを、アメリカでのそういう子を呼ぶ呼び方「Gifted」を踏襲して、「ギフティッド」「ギフティッド」と言って報道している番組があった。 途中で直ぐ見るのを止めた。

● NHKだけがおかしいのではないが、アメリカでそういう子を「Gifted」と言うのには強い疑問を感じる。アメリカ等でGifted, talented childrenというのは、数学などで突出した才能を持った子を、「飛び級」的に大学レベルの数学などを学べるようにする「配慮」、仕組みの関連でのことだ。

● 飛び級制度には若干の留保事項はあるが、一般的には、私は賛成。

● しかし、非常に疑問を感じるのは、そういう数学飛び級などの子に「gifted」「talented」というレッテルを貼ることだ。

● アメリカが元は新教クリスチャンが作った国なら分かるだろう。全ての人間は、それぞれのgift, talentが与えられているというのが彼らの信仰であったはずだ。Talent=タレントという言葉も、聖書の中の通貨タラントから来る。タラント(talent=才能)は、その大きさ、人との優劣ではなく、その人固有のタラントを神がそれぞれの人に託した、、というのがクリスチャンの信仰である。

● その観点から、数学だけ突出して社会に馴染めない子を「保護」し「応援」する観点からであったとしても、そう言う子にだけ「gifted」「talented」というレッテルを貼るのには、どうして強い抵抗がある。人は、皆、それぞれ gifted であり talented なのだから。     Nat

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