★突然、JAZZの話。しかも、一応Jazzミュージシャン(もどき)の私の立場から。
・・・設問は「Jazzのアドリブは教えられるものか?」
● 以下のような講座や教科書が色々あるみたいなので、答えとして「Yes」という人もいるだろう。 そして、はっきり言って、私は、そういう講座や教科書を殆どマジメに見たこともないので、世の中の講座や教科書の評論は出来ない。
● しかし、上記の設問への私の答えは「Yes, but No」になるだろう。
・私がアドリブの教科書を書けと頼まれれば、まず、基礎として、和声(コード進行)の基本の講座と、メロディー作りの基本の講座を書けばいいのだろうから、それで3分の2位を書いて、執筆料を稼げるとは思う。
・しかし、それでは、アドリブそのものの教育にはならないので、多分、残りの3分の1で、典型的なコード進行、特に4度進行における、使い古された「フレーズ集」を書くことも出来なくはない。
・事実、思い出すとおかしくなるが、20代の頃「こういうコード進行では、こういうフレーズ」という単語帳を作って、それを様々なキーで弾いてみた時代があった。
● 斯く斯様に、ジャズのアドリブは、コード進行の感覚を覚えて、良くあるフレーズを並べると、一見、アドリブに聞こえるものが出来なくはない。
・・・・しかし、それは「アドリブもどき」でしかない。何故なら、それは単語帳を見ながら「I love you」と言うようなもので、言われた方が、愛を告白された気にならないからだ。
・・・・講座、教科書でアドリブを学んだだけで、アドリブやっている人は、聞いていて一発で分かる。AIレベルでない単純プログラム式のロボットが音を出しているようなものだからだ。
・・・・大昔に、大学のジャズの後輩に言ったことがある。ピアノとかの場合だが、「指でアドリブやるな。やるなら、アドリブ弾きながら、口で先にそのアドリブを歌え!!」と。講座、教科書からのアドリブでは、指が弾いているだけで、口というか心では歌ってない。しかし、自分の口・心が歌う「自分の歌」としてのアドリブでないと意味ないし、絶対、聞いている人の心に響かない。
● 斯くなる私も、まだ全然ダメなのだが、「自分の歌」としてのアドリブは、結局、教えられないし、教えてもらえない。多くの一流の先人の演奏を、聞いて聞いて聞いて、そして聞いて、その上で、自分の心の中に「自分の歌」の世界が出来るように仕向けて生きるしかない。電車の中でも、歩いていても、JAZZを歌ってる、そういう人にならないと、アドリブは出来ないと思う。
Nat
